宇田

そのとき考えていること

Var-2,024/2/18

Log-0000

私用システムは工数も規模も気にせず好きなだけ改修を続けられるし、動かした分だけ自分にユーザーとしての不満が溜まっていくから要件に困ることもない。そのくせ、改修し続けるたびには自分の管理形態が良くなっていくのだから本当に素晴らしい。

 

Log-0001

自分のための反省をするたびに社会が遠くなっていくので一人暮らしのやりすぎは良くない気がしてきた。

Log-0002

関係性というシステム、許すことと許されることの相互作用だということに腹落ちするのに時間をかけすぎてしまった

 

Log-0003

トラウマティックな出来事は人に静止を促し、のちに内省を促す。同じ過ちを繰り返さないためである。内省は価値観の形成に大きく助力し、そして、多くの内省を元に出来上がった価値観は、トラウマティックな出来事が起こった場所、すなわち“社会”との距離を取るように形作られる。

多くの場合、このような内省は逃避の肯定がその根底であり、己による己のための未来の己の行動指針となる。社会との摩擦で焼けた皮膚を自ら変容させること、摩擦を生んだ場所の異様性を否定することで、未来の摩擦を回避する。こうしてできた価値観こそが、彼の社会との距離そのものであると彼が知覚するのは、寛解ののち、再び社会に目を向けたときである。

 

Log-0004

許すことと許されること、許しうる価値観と許されうる素体としての常識。

 

Log-0005

「かくあるべきだ」「この行いの先に穏やかさがある」と価値観を形成していく傍らで、それに一致しないすべてのひと=他人を“加害性のある人物”として扱うようになってしまったのかもしれない。

 

Log-0006

死生観

自己(の正しいこと・誤っていること)への自覚、責任、誠実さを持って人生をやっている

似通った二人の地獄を二人で歩く

対話

分かりあえないからこそ、分からないことを自覚する、分かり超えるための対話をする

関係(愛情)

同一化ではなく単体としての相互補強

劇薬ではなく漢方のような存在

 

Log-0007

自分が大事にしていること以外が致命的にちゃらんぽらんであるが、世間一般とどれくらいズレがあるかを意識しないと社交性は高まらないということがわかり、どれだけ価値観が合っていようが他人の相対的な評価軸から逃れることはできないと感じた。3月は衛生観念強化期間です。

 

Log-0008

逃げんな2024~後ろめたくても真っ直ぐやれ~

 

Log-0009

言わなきゃいけないことを言わないの、嘘をつくことと同じくらい誠実さに欠けるかもしれない

 

Log-0010

俺は「できないこと」が致命的にできず、その点において社会への適合性がカスであり、加えてこれに気づいたのが齢25なくらいには社交性がない。

 

追記:

22-24歳の間は、精神疾患を抱えながらの生活に対して「できないこと」を放棄することで対処していた。最低限生きていくための手法だったと言える。次は社会に出るための最低限を知るタイミングだと考えると腑に落ちる。今までと同じように必要なことをやっていくだけである。