宇田

そのとき考えていること

Var-2,024/1/4

 

〈2023-12-03-1〉
『哲学の先生と人生の話をしよう』/國分功一郎、別の著書を買った勢いで手元に置いたものの手付かずだったが良い(と感じられる)折に読了。
悪い搾取はしないように心がけるし、なので、良き関係のために良い搾取をされたい。

〈2023-12-03-2〉
ここ数年で”誠実さ“について沢山考えることができたけど、都度自分の正義感から生きづらさを感じてしまったのも事実である

〈2023-12-05〉
曖昧さ、抽象性、無責任みたいな“ちゃんとしていない”事物に悪い印象を抱くようになったのには割とハッキリとした恋愛経験による理由があって、それを許せないままに価値観が凝り固まったので社会と自分には距離があるのではと疑ってしまう。世間がどうとかではなく、あくまで自分と他者の、極めてプライベートで相互的に向き合う空間。向き合って他人を受け入れるのにかかる時間は、自分と社会との距離を表しているようにも感じられる。どうにかしたいと思うこの感情は生理的なものなのか、自分はこれを是としていいのか、良く搾取し良く搾取されることは本当に可能なのか、こればかりは考えてもなかなか答えが出ない。なぜなら当時の喪失を許せてはいないから。戒め続けて、それを咀嚼しきれずにいるからである。

〈2023-12-20〉
転職を経て無事内定。退職の引き継ぎでかなりバタバタしていたがこちらも無事終わり、退職。
今後の人生において、豊かさは確保されたと言ってよいだろう。一方で、自己評価のかぎりでは「転職がうまくいっただけのやつ」止まりであり、今の段階では金もなければ、健康でもなく、有休消化期間(長めの冬休み)だからと言って人と遊ぶことも旅行に行くこともない。できることなら毎日喫茶店に行って本を読んで過ごしたい。
最終出社の翌日、普段通り8時に目が覚めたときに「布団から出る理由がないな」と思い落胆した。ものすごく空虚な落胆だった。
布団に居続ける理由もないが、飯は食べねばならんし、外に出て歩くなりしなければ運動不足が加速する。が、無限(と感じてしまう)時間の中で、それを"わざわざ今この瞬間に選択する"という気にもなれず、苦し紛れに限りなく近い惰性で時間を垂れ流し、なにもないままに一日が終わっている。

〈2023-12-21〉
小難しいことをやいのやいの考えなくなったのは、学んだ学域の価値観や理論が自分の思想や生活において体系化されたからである。多分。
自分の場合は、豊か・健やか・穏やかに眼差しを向けた有限的な反芻、再現が体系の大まかな形であり、これは個人の持てる信仰として十分に機能しているように感じられる。
学問(特に文系的な理論)で弾き出される絶対的な教示は、人間の暮らしや人生において、指針たり得るものの、ゴールには向かない。絶対性を有限的に追うことが重要なのであって、無限的な闊歩はウィングスパンが∞mのやつにしかこなせはしない。上記はメイヤスーの『有限性の後で』から得た私なりの体系的な価値観であるが、"有限性の後"にあるのは、果てしない時間と限りあるエネルギーの耐久戦である。老い、憂い、苦しみといった日々のネガティブを受け入れ、また、その際の強度や選択肢を磨き上げ続けることで、日々を少しずつ臨む方向へ動かしていくほかない。

〈2023-12-22-1〉
自分で自分を生かすことができている(はず)。
他人に必要以上に依存することなく、一人の人間として自分は成立していると感じる。
けれど、一人もの同士の状態で、輪郭を重ねずに同じ境界にいれる感覚がした。それがすごく希望に感じた。

〈2023-12-22-2〉
この間見たアニメで「人生で大事なのは愛と約束と賞味期限」というセリフがあって妙に刺さった。
25の歳がなんらかの魔力に動かされているとしか考えられないけど、人生のタイミングという点で考えると、なるほど周りの人も自分もやはり節目の渦中にいる。節というのを高速のインターチェンジだと考えたとき、入り口は同じでも出口は東北だの北陸だの関西だのそれぞれ違ってくる。そうやって時間を経てだんだんと点々バラバラに距離を置いて、疎遠になる。疎遠のち合流とするのであれば、インターチェンジを潜る前に、次の目的地を互いに示し合わせておく必要がある。疎遠とてまた別の場所で別の暮らしがあるだろうが、あんなこともあったと過去のもので済ませるくらいならインターチェンジを潜る前に、今ここで道路を封鎖して冷凍保存した方がマシだと考えてしまう。

〈2023-12-23〉
主観が主観に留まらず、主観を経て普遍となる、そんなコミュニケーションが好き。互いの身の上話の中から見える共通項、深刻な悩みを聞く上で、客観的にはこう見えるのかな、似たようなことはあったかな、どう感じたかなと話を進める。すると相談者本人の人生や価値観や環境における課題点、その解決法、解決できないものの切り分けとその理由などが見えてくる。これは他者理解と同時に他者のボトルネックを特定し、前進することに寄与する。もちろん、当人が前進することを望んでいればだが。

〈2023-12-23〉
『社会システム理論』ニクラス・ルーマンを読んで
子としてのゲマインシャフト(血縁-地縁-信頼的社会)は必然事項。一方で親としてのゲマインシャフトはオプショナルな世の中。とりわけコロナ禍に入って人との距離が離れ、コミュニケーション量の総和も減ったことだろうし、自分自身断絶を感じた。とはいえ、時代によっては死なぬに育ち切るのが難しい時代だってあるだろうし、現代においてもお見合いはゲゼルシャフト(政治-利害-機能的関係)然としたイベントからゲマインシャフトを志すものだろうし。心的システムにおける意識→記憶→忘却の循環のベクトル(何を思うか/何を良しとするか)は人それぞれ、ゆえに社会的システムがいくらコミュニケーションが次のコミュニケーションを作る、その果てが文化であったりするの自己準拠的な生産だと言われても、コミュニケーションをした"こいつ"と"そいつ"の関係について目を逸らすわけにもいかないし、なんなら一番言語化したい分野だ。もうちょっと考察が必要になりそう。

〈2023-12-24〉
ルーマンを読んで-解釈メモ
『マルチオブジェクト・オートポイエーシス・システムを制御するメタ・オートポイエーシス・システム』

〈社会・システム・精神・身体〉
【構築演繹システム】
-閉鎖的な個別要素の営み-
コミュニケーション・入力・思考・食事

- 『複雑性の拡大』≒システム不全-
非秩序・エラー/バグ・価値観・栄養欠乏

-(再)構築-
創発規範/秩序・保守改修・価値形成・合成

『複雑性の縮減』

⇅ (動的な平衡志向=メタ・オートポイエーシス・システム)

【回帰帰納システム】
-閉鎖的な個別要素の営み-
コミュニケーション・ユーザ運用・思考・食事

-『複雑性の縮減』≒健康なシステム-
秩序・プログラム・価値観・消化器官

-自己回帰的運用保持-
社会的行為・処理・意思決定・排出

自己回帰(オブジェクト・オートポイエーシス・システム)による『複雑性の縮減維持』

〈2023-12-25〉
「付き合う」という性愛的な相互関係は、儚い有限性を前提としたようなもので、その一過性に身を任せた無責任な衝動行為な気がしてどうも腑に落ちない。欲求的でなく、無限的な事物など存在しないというのは承知の上で、あくまでも精神性、どういった心持ちでいるかの話である。
「生涯共に過ごす人がいるとしたらあなたがいい」という表現が自分の心情を表すにはもっともストレートなもので、かといってこれはあくまでも私の言語、つまり、価値観や志向性の話であって、伝えられる人にとって同義で扱われるかというと全くその限りではない。そういう点では、もし後者の"告白"をしたとしても、これは世間一般でいう付き合うと同義のように見えますがそういう意味合いではなく_____、と認識の共有が為されなければ(説明が行われなければ-理解が行わなければ)、自分勝手な、暴力的なコミュニケーションに他ならない。"赤いもの"を見て"赤い"と表現するとき、同時に色盲の人は"赤と呼ばれるであろうもの"といった粒度でしか認識できない。ズレがある。とはいえ、人一人取り上げても、認識や価値判断は悉く少しずつズレていて、曰く元々特別なオンリーワンであり、しかしその共通項が常識であったり、世論、らしさ、という一億総動員で取りかかる相互的な一般化によってコモンセンスとされる。
コモンセンスではなく、もっとパーソナライズドな、わたしにとっての、これの、彼の、あなたの認識はこういうものです。と、伝達-理解が為されるためにはやはり"赤"が"赤"になったようにわたしも二者間での認識システムを構築する必要があり、これもやはり不断のコミュニケーションによってのみ成立する。その上での(道徳的、倫理的、価値感的)是非判断は、残念ながらわたし、つまり送り手にはどうすることもできず、できるだけ価値観や道徳倫理が近いものを持っているものだと信じて祈るしかない。

〈2023-12-30〉
『ゼロから始めるジャック・ラカン』読了。精神分析学の金字塔としてだけではなく、現代哲学への影響を鑑みても知るに損のない学者であるラカン。良き折に触れることができてよかった。理論の中身には触れないけど、人のことを考えるとき、自らを省みるときの指針を得たような気がする。人が考えるということ、あるいは考えないということ、それらを踏まえて自我だということを、理論立てて知ることで心療の本分ともいえる(意識・無意識を問わない)悩みの掘り起こしを知ることができた。先日考えていた「構築演繹システム」的に内包するところの、価値形成のメカニズムを非常に精緻に解き絆しているように感じた。事象-感情-無意識-思考-価値(システム)化といった、人と社会的イベントとの関連を明らかにするということは、不本意に膨れ上がった思考や価値観のボトルネックを認知できるようになるということであり、その解消とまではいかずとも認知そのものに非常に大きな価値がある、と思う。自分の機嫌を自分を取るように自分の棘を、他人の棘を取り除けたら嬉しい。

〈2024-01-03-1〉
地元に帰省。令和6年能登半島地震にて被災。
一人であの揺れを感じることがなくてよかった。あの揺れが恐ろしいものであった、と家族と認識の共有ができてよかった。
東京に戻る。一人の尺度で楽しいことも苦しいことも体感していく。それがわたしだけのものであるということが、必然的にわかった瞬間であった。

〈2024-01-03-2〉
人は突然死ぬし、大災害は突然起きるし、でも、続ける以上は途方もなく地道。


<2024-01-04-1>

東京行きの北陸新幹線内で『推し燃ゆ』読了。推すという行為の言語化がここまで精緻にされているのは同年代の作家ならではのことかもしれない。話自体は「発達障害持ちオタクの日々」といった印象。既視感があるなあと思い続けたがやはり主人公は自分にちょっと似ている。推しは推せる時に推すのではなく、より健全に推せる余裕を作ることが大事。