宇田

そのとき考えていること

Var-2,024/3/12

Log-0025

ただ日々が続いていくこと、持続性のある一日を組み立て続けること、ただ日々が続いていくこと

 

Log-0026

承認が親愛の条件であると自らの特性に気づきつつあるが、「そういう在り方でいいんじゃない」ではなく「そういう在り方が良い」という許しであったり、認めがより有意なように感じる。(当たり前と言えば当たり前だが)

前者の承認であっても偏屈な自分としては本当にありがたいことであるので、これが理由で「あなたに惹かれはしない」と結論づけるのも苦しく感じる。自分の価値基準に対して苦しいもなにもないだろうし、そもそも何様のつもりだと言われてしまうとぐうの音も出ないが、それは自分自身の価値基準を他人に向けるもの、世間に晒すものとして“良いもの”であると自信を持って言えないからであろうと考えている。

自己評価の低さは相変わらずのものだなと感じる一方で、それは他者からの否定を恐れるあまりの判断であると仮説を立てているところで、いっそのこと”ちゃんと否定されにいく“という過程は今の自分には必要な気もしている。

 

Log-0027

自己評価として「たくさん考えて色んな手法で試行錯誤して争い続ける」ことがかなり本質的だなと自認しつつあるけど、これって就活でも同じようなこと言ってたなあと思い少し恥ずかしい。

 

Log-0028

ただ日々の繰り返し、これを怠らないことこそがもっとも建設的で健康的な営みだと信じてやまない。一方で、この日々の繰り返しの先にあるものを考えたときに真先に思い浮かぶのは「死ぬまで今と同じように一人で生き切った自分」であり、確かに望むものであることに違いはないものの、それは本当に幸せなのだろうかと疑っているところに否定はない。

 


『マインクラフトを死ぬまでソロモードで遊ぶか、死ぬまでマルチプレイで遊ぶか、どっちか選べって言われたらどうするよって話なのよ』

 

Log-0029

日々を怠らず続けるのは当たり前、その上でどんな日々を積み重ねるかを考えて組み立てることが求められている。

 

Log-0030

生きていけるけどっていう程度に消耗戦を耐え続けるしかないのかなと考えてる

いつまで耐える?どうなったら戦いが終わる?

 

Log-0031

社会的役割も責任も価値観も、年を食った分だけ身についていって一日を無限回繰り返すことでちゃんと死ねる身分になってきている気がする。そうなると、

{どう死ぬか}=

{どんな環境でどんな一日を過ごすのか}x無限回

に焦点が当たるようになり、すると今(から死ぬまで続いていく)暮らしの消耗・摩耗を抱えたままでいいのか?と問うようになる。どうすれば摩擦が負荷が減るのか、強度が効率が上がるのかはまだいまいちピンときていないが、目下孤独だけはあまりにも摩擦を生みすぎていると感じている。