宇田

そのとき考えていること

Master{2,023/07~10}

7月(1)

ここ1年ほどは服薬である程度コントロールできていたのだが、勤務時間内に目眩だの吐き気がきてしまい思わずダウン。退勤即気絶みたいなことは滅多にしないはずが今日ばかりは目が覚めると22時で、おまけに前後の記憶も曖昧で、相当きていたようである。
そもそも春夏は気候に連動して、体感温度が相対的に上がり続ける。「ちょい暑い」が続くことが交感神経と相性最悪なのは生まれてからずっとそのはずだが、社会人にもなると動けない時間に産まれる損失もあるためこれは考えものである。

 

7月(2)

抑圧に対する批判リスクのある(疾患や欠点を持った)人間が社会に出て、管理され生産を行うことに社会がどれだけ寛容であるかはさておき、目の前のボスは前者であり「じゃあ働けませんよね」と言うか「よかった、働けるようになりましたね」という0or100でしか判断しない。1on1では直近2週間のコンディションを説明するターンがあり、私はあくまで主観的にリスクがあるか否かを考慮してボスに告げる。「やれている」の基準が異なることは確か。「今の状況よりさらにやれる」「今の状況で過不足なくやれている」「今の状況ではやれない」の基準で告げていたが、そうでは困ると告げられる。「戦えそうにないのであれば、休職するか、辞めるか、お医者さんに相談して戦えるようにしてくださいとのこと」。自分の身体も人生も会社のためにあるわけではない。

 

7月(3)

ハンチバック読了
テーマもロジックも全てが面白くてすごく惹かれた。
芥川賞作品を読むようになったのは最近のことだけど、これから毎年読みたいし既に楽しみ。

以下ロジック解読のためのメモ
モナリザ/赤いスプレー 
イスラエル/ゴグ 
・釈迦/田中 
・釈迦を存在させるための嬢の筆(書かずにはいられない)
・攻撃される価値のある障害者 
・不当な配慮、

 

7月(4)

ネガティブワーカー(リスクを持って社会に出ざるをえない者)への理解が足りないのか、本当にそういった類の人間は社会に出る(その会社/その部署にいる)べきではないのか、どちらかを知るにはボスに訴えの姿勢を見せる必要がある。コンディションの全てをありのままに伝えるようにと言われても、薬を飲めばなんとかやっていけるか否かでしか語れない。根本的に会話が噛み合っていない。新卒で配属された部署は特に興味もなく、2年ほどしたら異動をしたいなあと考え続けている。上長はマネジメントを詰める・怒ることでしか行えず、私の進捗未達はの大体は持病によるもの(ハードに残業ができない)である。よって、上長は私の持病を攻め→いつまでに治すかを問い→私は答えられず→次回までに考えておいてくださいと言われたところで→次回も同じ問答を繰り返す。
ここで重要になってくるのが「上長のマネジメント能力の是非」と「私の勤務能力の是非」になる。私が上長に耐えかねモラハラだ!と訴えたところで、私の負け=勤務能力の欠如と結論が出れば更迭、休職など、ネガティブな方向にことが運ばれてしまう。訴えるなら私が勝つ=「勤務能力に問題はなくマネジメント都合による過失、ゆえに異なる場所でなら輝ける」ことが必達であり。訴えないのであれば異動できるまでの耐えが重要になる。
ということを先輩に相談すると、「もっと反抗したら良いじゃん」と助言され、それはまあ確かにそう、一方で進捗未達の人間の反抗もいかがなものか...と悩んでしまう。とはいえ、現状のままの耐えはやけにしんどく、かつ上長の態度変容も望めない。非常に悩ましいなと考えながらも、目の前の課題だけは真面目にしっかりと取り組めている。1ヶ月ほど自律神経失調が続きキャパシティの低下していることを上長に報告したところ、「2週間前の面談では言ってなかったじゃないですか」とお叱りを受ける。曰く、マネジメントの観点からして「できないやつにできないことをやらせていた上長になってしまうではないか!」とのこと。服薬量が減っていることは報告していたし、向こうからの視点では健やかな社会人として扱っていいと見えていたらしく致し方ない。もっと細かい粒度で報告するようにとのこと。
無理がある。社会人になった時から持病持ちだし、持病を持って社会に出ることを自認している。上長の管理観は真っ当であることは前提として、実際問題、流動的にその日その日のコンディションが大きく変わるのと同じように自律神経も動いてしまう(例えば風邪を引いた日、ちょっと身体が重い日とか)。 1アクションによるダメージリスクが他人より大きく、かつヒットポイントが大きいのが精神疾患患者の特徴(どの病気も等しく同じだろうが)であり、ましてや社会人というストレス環境下ではその日の業務の所感、他人から受けた言動によってバッド入り(服薬増加)するなんてことも不本意ながら日常茶飯事である。そのリスクを承知の上、それでも社会人をやりたいとして雇用関係を結ばせてもらっている。もし、上長の言うところのリスク管理の考えが正となるのであれば、リスクゼロになりえない私はそもそも社会人にはなれない。一方で、「リスクのない人間などいないのであって、その流動性を以てしてマネジメントを行うのが管理社会ではないのか!」と言いたくなってしまう。いっそのこと、持病持ちはなにかとやられやすいので勤労能力はありません、と断言してくれた方がいくらか幸せだろうが(その分社会福祉が出なけりゃ納得はできないが)、そうではないから社会にいる。

定点的なリスク観測がしたいのであれば厚生省と相談でもしてきてくれ、と言いたいところだが私の口で何がマスタの意見であるかの現地を取り、組織一貫して認識の統一を図る。その上でのマネジメント、労働状況の定点観測を行うべきだと強く痛感する。体調を崩すのは決まって夕方で、発熱も発作も、なんらかの体調不良は大体夕飯時、もしくはその少し前に起きてしまう。日が暮れるにつれて交感神経が昂るためである。脳がどんどん熱を帯びていくのをしっかりと感じる。

 

f:id:solfaU5M:20231029234331j:image

 

8月(1)

バルトの『喪の日記』を読む。精神分析で言うところの暴露の手法に感じ取れるし、彼の感じる喪は「去勢」と呼ばれるものであろうと感じる。この日記の連なりもいつか、暴露となり、無意識へのアプローチとなっていれば喜ばしいこと。

 

8月(2)

勤務中にパニック発作。後日、退職勧告。

 

8月(3)

機会の喪失。怒っている。

 

8月(4)

「人生は2年に1度壊れる」というのが私信であるが、今回も例外なくちゃんと壊れたあたり、私信としての機能を果たしすぎている。果たさなくてよい。全部自分が悪い。これが妥当だというのは腹落ちしているし今更レジスタンスに訴えるなんてことはないが、「これが妥当だった」ということが哀しくて仕方がない。

 

f:id:solfaU5M:20231029234409j:image

 

9月(1)

リハビリがてら人生初の転職活動で、2年ぶりに渋谷に着た。
我の強い人、街が苦手だなと感じる。
誇張したアイデンティティの露出は最悪吐き気を催す。

 

9月(2)

発作で倒れたが、管理職に問われたのは修業能力の有無ではなく、解消方法の実現性であった。血を流した患者に安静を提言するのではなく、「自らをして止血をせしめよ!」と提言する姿勢に脳が揺らされるが、整備工場においてパーツを取り替え、前線へ向かう機体に痛みや苦しみがないように、私にもそれはないものとされるらしかった。精神疾患患者になってはや3年、肉体と精神のどちらが先立つかを結論つけることもなく、不調な身体に応じるように行動が消極的に変容し、思考にまで影響をしっかりと出していると感じる。かつて何を私信とし、何を基準として生きてきたかを知るには時間が経ちすぎているし、その間に社会人になっていたりと、環境も変わりすぎた。ゆえに今自分がどこにいるのかわからないような、帆を張れない船になったような気分である。
帆を(張りたいのに)張れないと感じている以上、どこかに進もうとしていることは察するものの、どこへ、どうやって、なんにために、という感覚を取り戻すことに困難さを感じているし、漂流が長引くほどに食料や燃料はすり減っていく。誰かに知られることもなく沈没し、その間の苦痛から出る叫び声や悲痛な感情というのは、思わず目を背けたくなってしまうものである。

おそらく、他人の成果物や思想を間借りしないこと、つまり自分のものとして、所有の範囲内で扱うことが重要だと思う。オートポイエーシスで言えば、たとえば、飲食の反作用が排泄であるように、事象の発生は作用と反作用の不断な反復によってのみ成立することを自分の経験として咀嚼すること神学的Xについては、その無限的で動的な反復は不断な有限性の積み重ねであることを自分の経験として咀嚼することこれらが己にとって私信たりえる尺度で信じる(理解する)ことで、ようやく帆が張られ、ということは風を受けてどこぞやに向かい始めることができるはずである。
上記が「どのように」であるとするなら、「どこに」は私欲の向かう方向だろう。ともすれば、これを自認することが一番難解かもしれない。そこでは、欲するに至った経緯と理由の自認が求められ、生物学的根拠や文化学的影響、そして個人史的な内省を要するからである。何が原因で何を欲しており、どのような反作用を期待するかを明示し、その指向性を以てして私信たる志向性を共存させることが望まれる。

f:id:solfaU5M:20231029234428j:image

 

10月(1)

本格的に転職活動を開始。

 

10月(2)

内定はまだ出ていない。やるべきことをやっていくだけ。